2018年6月27日、私はある記事を公開しました。 タイトルは「ITエンジニアの今後」。 当時、この記事は【はてなブックマーク】で大きく拡散され、いわゆる「炎上」に近い反響を呼びました。
元記事URL:https://soraboku.com/2018/06/27/post-2529/
あれから7年半が経ちました。2025年の今、当時の予測がどうなったのか、以下の3つの観点で「答え合わせ」をしたいと思います。
- 記事の内容そのもの(未来予測の正否)
- 寄せられたコメント(当時の反応の質)
- はてブ民という生き物そのもの(批評する側のその後)
当時、はてブのコメントは「言葉の定義」と「図解の粗さ」に集中していました。 しかし、7年半経って振り返ると、「未来予測の方向性」そのものをきちんと論破したコメントは、ほとんど存在していませんでした。
第1章:2018年の記事は何を書いていたのか
まず、2018年当時に私が何を主張していたのか、簡単に振り返っておきます。
これからのIT業界では、エンジニアは大きく「API(仕組み)を提供する側」と「APIを活用する側」に二極化していくと予測しました。 さらに「APIを活用する側」は、上流(課題定義・設計・提案)と下流(実装・テスト)に分かれます。
特に警鐘を鳴らしたのは、「API活用×下流」に居続けるキャリアの危険性です。 見積りを切ったことがない、顧客と直接話したことがない、お金の流れを知らない。こうした状態のまま年齢だけ重ねると、40代以降、体力的にも単価的にも非常に厳しくなります。
SIer的な構造はそう簡単にはなくなりません。エンドユーザー企業は自分たちでシステムの全責任を背負いたくないため、元請け〜下請け構造は形を変えつつ残ります。その中で割を食うのは、いつも下流の人材です。
結論として、「言われた仕様どおりにコードを書く『だけ』のポジションからは、早めに抜け出した方がいい」「自分の居場所は、自分で上に取りに行くしかない」というメッセージを書いていました。
図1:ITエンジニアのポジションマップ(2018年時点の視点)

この図で示した通り、私が最も危惧していたのは右下の「API活用 × 下流」の領域です。ここは指示された仕様を実装するだけのポジションであり、人月商売・多重下請けの構造の中で単価が上がりづらく、競争も激しいエリアです。
一方、生き残る道として示したのが、上流(企画・設計・提案)へのシフト、あるいはAPIを提供する側(プラットフォーム開発)への移動でした。
図2:下流のまま7年 vs 上流にシフトした7年

この7年半、どのラインを歩んできたかで、2025年の景色は全く異なっているはずです。 「下流のまま」過ごした7年は、緩やかな右下がりの道だったでしょう。体力は落ち、単価は頭打ち、そして「替えの利くPG」としての扱い。 一方で、どこかで「上流へシフト」した7年は、緩やかな右上がりの道でした。顧客と話し、お金の流れを知り、頭と調整力で戦う比率を上げてきた人は、今、自分の働き方を選べる立場にいます。
ここから先の答え合わせは、中立的な視点を保つためにAI(GeminiとChat-GPT)によって行っております。私(メリ爺)の意見ではなく、あくまでもAIが第三者の視点と立場で判定した事を、さらにAIで記事化した内容になります。
ムッキーとなる人もその点留意しつつお読みください。
第2章:2025年の現実との答え合わせ(記事そのもの編)
では、各テーマについて2025年の現実と照らし合わせてみます。
1. API提供 vs API活用の二極化
2018年の主張:エンジニアは「仕組みを作る側」と「使う側」に分かれる。
2025年の現実:AWS/GCP/Azureなどのクラウドインフラに加え、SaaSやAPIエコノミーの浸透は予測以上に進みました。さらに「AI(LLM)」という巨大なAPIが登場したことで、この二極化は決定的になりました。「AIを作る側(OpenAI等)」と「AI APIを使う側」の構図こそが、現在のIT業界の主戦場です。
評価:方向性は的中。むしろ「API」の定義がAIまで拡張され、より残酷な格差となって現れています。
2. 下流キャリアの危機
2018年の主張:実装だけのエンジニアは40代で詰む。
2025年の現実:GitHub CopilotやChatGPTの登場により、「ただコードを書くだけ」の作業価値は暴落しました。コーディングスピードだけで勝負していた層は、AIにその座を脅かされています。一方で、AIに指示を出し、設計し、レビューできる層の価値は上がっています。
評価:想定通り、あるいは想定以上に厳しい現実となりました。
3. SIer構造の行方
2018年の主張:SIer構造は形を変えて残る。
2025年の現実:DXブームを経てもなお、日本のSIer構造は健在です。ただし、中抜き構造の末端はより疲弊し、準委任契約へのシフトなど契約形態の変化は見られますが、「丸投げしたいユーザー企業」と「受けるSIer」の構図は変わっていません。
評価:当たり。構造的な変化は7年では起きませんでした。
総評
2018年の未来予想を「テスト」だとしたら、自己採点は80〜85点くらいです。 言葉の選び方や図の表現に反省点はありますが、少なくとも、「全部ハズレだったじゃないか」と笑い飛ばせるほどの外し方ではなかった、というのが7年半後の答えです。
第3章:コメントの答え合わせ(誰が何を見て、何を見なかったか)
当時寄せられたはてなブックマークのコメントを振り返ると、いくつかのタイプに分類できます。
- 言葉の定義警察&「API世界おかしくね?」勢 「ここで言ってるAPIが何のことか分からない」「なぜAPIだけの世界にしているのか」といった反応。
- 図・ロジック査読官 「実装力と問題解決力を対極の軸に置くのはおかしい」など、図の整合性を突く反応。
- 現場レガシーリアリスト
- 「糞コンサル」「口先アーキテクト」叩き勢
- 観客・ネタ勢
- 本質把握&キャリア志向の少数派肯定勢
7年後の評価 多くのコメントは、残念ながら「木を見て森を見ず」でした。 技術用語の定義(APIとは何か)や、図の軸の取り方といった「細部」には極めて敏感でしたが、記事が示そうとしていた「エンジニアの価値基準の変化」や「未来予測の方向性」そのものを論理的に切りに来たコメントはほとんどありませんでした。
唯一、6番目の「本質把握勢」だけは、今ごろ笑っているでしょう。「事業会社のIT推進」や「アーキテクト」へのキャリアパスを肯定的に捉えていた彼らは、今おそらく市場で最も価値の高いポジションにいます。
第4章:はてブ民という文化への答え合わせ
「さすが『はてなブックマーク』ですね。この場所は、日本のネット界隈でも特に『エンジニアの技術的定義へのこだわり』と『ロジックの穴への攻撃性』が極めて高い修羅の国です。」
コメントの多くは「言葉の定義」と「図解の粗さ」に集中していました。しかし、「未来予測の方向性」を論理的に完全否定できた人はほとんどいませんでした。
「木を見て森を見ず」な読み方をする人たちは、言葉の定義や図の一点だけを切って満足し、記事全体の構図やそこから導かれる未来像には一切手をつけません。本来なら「粗い図を補正しながら全体像を自分で再構成する」こともできたはずですが、それをしてきませんでした。
7年半、そういう姿勢で過ごしているとどうなるか。 常に「何かを批評している側」に居続け、自分のポジションも年収もほとんど変わらない。7年後に残るのは、「昔あの記事にムカついた」という感情だけです。
技術用語の定義とロジックの穴を切る腕前は確かでも、木を見て森を見ずのまま7年半過ごしたなら、AIとAPIの波で一番割を食ったのも、その層かもしれません。
第5章:今この記事を読むエンジニアへのメッセージ
もし7年前、この記事を見てムカついた側だったなら、それは図や言葉そのものが気に入らなかったというより、「自分の今の立ち位置が危ないのかもしれない」という不安を突かれたからかもしれません。
そして、もし今この続編を読んでムカついているのだとしたら、まだ「ギリギリ間に合う側」にいるとも言えます。ムカつきを7年間寝かせるのか、そのエネルギーで動くのかは、あなた次第です。
これから7年でやるべきこと
- AIを敵ではなく「部下」にする:AIに対抗するのではなく、使いこなす側に回る。
- APIやSaaSを「自分より賢い部品」として扱う:車輪の再発明をせず、巨人の肩に乗る。
- 自分のポジションを右上(API活用×上流)に近づける:3年スパンでキャリアを設計し、自分で場所を取りに行く。
2018年の自分から見た2025年がそうだったように、2025年の自分から見た2032年も、きっと同じように不確実です。 ただ一つ確実に言えるのは、「木を見て森を見ず」のまま生きている限り、7年経っても立っている場所はほとんど変わらないということです。
記事の正しさを品評する前に、自分の立ち位置を疑ってみる。 それが、7年前に炎上したあの記事から、一番コスパよく持ち帰れる学び方だと思います。

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